オススメ

お気に入りブログ

2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

オンライン状態

2007年8月17日 (金)

小説:海堂尊著『チーム・バチスタの栄光』2007年8月15日

一気に読んでしまいました。というのが正直な感想。個人としては医療の知識なんてほとんど無いのですが、それでものめりこんで読めてしまうのは展開の面白さにくわえて強烈なキャラクターが搭乗していること、そして、緩急のバランスがいいので飽きないで最後まで連れて行ってくれたそんな感じがします。 先日本屋さんに行って平積みされているのをたまたま見つけたのがはじまり。黄色い表紙で目立っていたのも印象的だったのかもしれません。はじめは、妻が見つけてちょっと面白そうと言うことで購入しました。 買ってすぐのときはまだ読んでいた小説があったので、それを読み終わってから読もうと思っていたのでしばらくはそのまま。 やっとこのチーム・バチスタ…が読めると思って読み始めた瞬間その面白さにはまってしまいました。取り扱っている問題は決して軽いものではないのですが、今までの医療現場ものと明らかに違うのはそのコミカルさ。リアリティがある分そのコミカルな面とのギャップが面白いんですよね。著者の海堂尊さんは、現役の医師。 そういった目線だからこそ書きうる小説と言う機もします。病院という閉鎖された組織空間。それは日本の旧体質の塊のような存在。それが現在でもなお変わりないんですよね。そんな病院内を舞台にした物語。 あらすじ:東城大学医学部付属病院では、心臓移植の代替手術である「バチスタ手術」の専門チームを作り、 次々に成功を収めていた。ところが今、三例続けて術中死が発生している。 しかも次は、海外からのゲリラ少年兵士が患者ということもあり、マスコミの注目を集めている。 そこで内部調査の役目を押し付けられたのが、神経内科教室の万年講師で、 不定愁訴外来責任者・田口と、厚生労働省の変人役人・白鳥だった……。(HPより引用) これだけ聞くと、かなりシリアスな場面が多くまたちょっと難しそうな気がしますが、読み始めて抱いていた先入観は吹き飛んでしまいました。はじめに出てくる田口公平の語り口調。これが病院のヒエラルキーからすでに逸脱していることを匂わせています。病院と言うシステムに対する皮肉はもしかすると、著者自身が感じていることの代弁なのかも知れません。 そんな田口がとんでもない役を引き受けなくてならないところから、物語はじまります。このストーリーでの最大のキャラクターといえばもうひとり忘れてはならないのが、白鳥圭輔。厚生省の役人にしてその発言はすでに変人。しかし彼のロジックは的を射ているんですよね。ただデリカシーがゼロですが。 そんな彼ら以外にもさまざまな登場人物がその個性を発揮しています。その中で展開されていく事件とそれぞれの思惑。ミステリーといえばミステリーですが、どちらかというとやっぱりエンターテインメント作品と言うのが一番なんではとおもいます。それは、ミステリー的な要素が陰に回ってしまうほどに登場人物が立っている点もあるのかなと思います。 とまれ、この著者のファンになってしまったのは言うまでも無いです。ほかの作品も機会を見つけて買いにいこうと現在画策中です。 ===こちらもよろしく===
無料アクセスアップ:オートリンクネットリンクが自動で増殖オートリンクの登録はこちらさくらの徒然日記
新しいライフスタイル
Active-LIFE

2006年12月23日 (土)

東野圭吾著『殺人の門』 2006年12月22日

東野圭吾を読み始めたのは、かの有名な「容疑者Xの献身」を読んだのがきっかけ。それまでは、名前は知っていたもののほとんど知らないというくらいでした。それが、先に上げた本を読んでからちょっと興味が湧いて、湯川シリーズを読み出しました。この作品は、湯川シリーズの後どうしようかなと本屋で見つけて手にとったものです。

妻が家にある「手紙」をよみだしたので、私はこちらを読むことに・・・。帯にはこう記されていました。「あいつを殺したい。でも私には殺せない。 -誰しもが心に抱く『殺人願望』。その深層をえぐり出す、衝撃の問題作!-」なかなかに意味深ですよね。ということは誰かは殺害されてしまうのかなと思わせるのですが、まずはじっくり読んでみることに。

文庫本裏表紙:「倉持を殺そう」と思ったのはいつからだろう。悪意のごときあの男のせいで、私の人生はいつも狂わされてきた。そして数多くの人間が不幸になった。あいつだけは生かしておいてはならない。でも、私には殺すことができないのだ。殺人者になるために、私に欠けているものはいったい何なのだろうか? 人が人を殺すという行為は如何なることか。直木賞作家が描く、「憎悪」と「殺意」の一大叙事詩。

主人公である田島和幸。歯科医師の息子として生まれお金に困ることのない生活をしていたのもつかの間、両親が離婚。父の事業の失敗とその様子は絵に描いたような転落劇。その中で貧困の中で孤独な思いをしながら生活していく。そんな中で学校にいじめ、初恋と不幸になりながらもいろいろと体験していく。

そんな不幸な彼の影に現れるのが倉持修。彼は小学校以来の同級生。言葉巧みに相手の心を掴む才に長けていてその片鱗は小学校の賭け五目並べから始まっている。彼がもしこの物語にいなければ、和幸は幸せだったのであろうか。そうとも言い切れないまでも、ささやかな生活をしていくことが出来たのではと思う。

この倉持との出会いは和幸自身の人生を狂わせるというより、操られているに近いです。それだけ彼は巧みなんだと思います。まあもちろん和幸自身が、意思が弱いという面もあるのでしょうが。和幸の幼少期にもうすこし救いのある生き方が出来ていたならば、何もこんな封に考えることはなかったかもしれないという思いもありながらも物語は脱線も許されず進んでいきます。

倉持頭の中につねにあるのが、相手をうまく利用していかに自分が得するかという点。決して貧しい生まれではないにしても、生まれながらにして貧富の差に強烈なコンプレックスを抱く彼だからこそ、その性格というか、感情が産まれていったのかもしれません。それは一つの執念がなせる技なのかも知れませんが。

描かれている、ディテールのよさのために、二人ともある意味この作品の中ではごくあたり前に立ち回っていますが、よく考えてみればうーんと思うところあるのです。しかし、読みすすめていくとその書き手の上手さに私自身も引き込まれていくのです。まさにそれは和幸のように・・・(笑)

倉持はその口の上手さから、詐欺商法に身を置いていくしかし、彼自身はこの世にいる人間をまるで二通りの者しかいないかのごとく考える。騙す者と騙される者。その手口は恐ろしく手馴れている。倉持にとって和幸は単なる手駒としか考えていないのかとおもう節もあるが、それだけの感情ではないのだと思います。

二人の生き方それは、没落の不幸な人生とコンプレックスから生まれた人生をもつ二人の歪んだ友情劇なのかも知れないのです。とはいえ決して楽観的な話ではありませんが・・・。最後まで一気に読みきって思うのは、決して清々しいものではないし、全編にわたって陰鬱なものが付きまとう点ではなんともやりきれない感じがします。

決して楽しい小説ではないので、読み終わった感想もそうですし、そもそも読むかどうかという点でも意見が割れそうな小説ではありますが、この一冊読むと、東野圭吾の書き手としての上手さを十分に堪能できるのではないかなと思います。

2006年12月15日 (金)

仙川環著『感染』 2006年12月14日

昨日に引き続いてというわけではないのですが、これもこの間読み終わったのでちょっと載せようと思います。この手の話はTVやニュースでも聞いたことがある知識もあり、読み進んでいく中で結構引き込まれていく点が多く一気に読んでしまいました。(笑)

この本は、近くの本屋さんにいった時にたまたま見つけたもの。平積みされているコーナーがあって、そのときの帯を見てかってしまいました。帯にはこう記されていました。「いま、話題沸騰の医学ミステリーです! 我が子を救おうとして天才医師が選んだ道は・・・」裏には「続発する幼児誘拐殺人事件。だた、何故自分の子供が!?そこには大きな策謀がかくされていた ― あなただったら、どうしますか?」

うーんこれはちょっと面白そうとして手にとって読むことにしました。ここのところなかなか本を読む機会がなかったのでちょっと何か読みたくなっていたときなので丁度良かったのかも知れませんが、著者はじめての作品とは思えないほどその展開にひきこまれいきました。

物語のあらすじは次のとおり。
・・・ ウィルス研究医・中沢葉月は、ある晩、未来を嘱望されている外科医の夫・啓介と前妻との間の子が誘拐されたという連絡を受ける。幼児は焼死体で発見されるという最悪の事件となったにもかかわらず、啓介は女からの呼び出しに出かけていったきり音信不通。いたみ戸惑う気持で夫の行方を捜すうち、彼女は続発する幼児誘拐殺人事件の意外な共通点と、医学界を揺るがす危険な策謀にたどり着く―。 ・・・

全体的なはなしは、中沢葉月から見た視点で物語が進んでいきます。彼女の置かれている立場や、進んできた道様々な葛藤を抱えながらも本分を全うしているのですが、夫の最近の様子の変貌を機に不安の募らせていきます。

私自身、いつも本を買うのは表紙、タイトルそれから帯くらいなもので、あらすじなどはあえて読まないようにしています。あまり先入観をもたないで読むほうがその先の展開をなるべく自然体でたのしみたいからなんですが。冒頭を読み出してからはどんな展開になるのかはあまりそうぞうできなかったのですが、事件が起こってからは、まさにジェットコースターのような感じ。

全体の印象は、かなりストレートで素直な文体。なので読みやすい。主人公の心情を織り交ぜながらも、本線は確りしていて、出てくる伏線も結構分かりやすくなるほど~というかんじで楽しめました。取り上げている題材が題材だけに、物語で扱われいる以上に根深いものなんだろうなあという気がします。

あまり知らなかったのですが、臓器移植売買については結構ショックなところでした。日本では臓器移植についての実施例も少ないこともありますし、臓器移植をめぐる諸問題に対してあまり取り上げられていないのですが、海外ではそれらについてかなり問題になっているというニュースもあるそうです。そんなわけで取り上げられているモチーフであったり、背景というものにはかなりリアリティを感じました。

最後クライマックスまでにいたるところでは、テンポよく進んでどうなるんだろうという期待をもたせている反面、ちょっと粗いかなあという気もしました。あまり書くとネタバレになってしまいますから書きませんが、話の発端からクライマックスまでの問題の大きさを考えるともうちょっとと思ってしまいました。とはいえきちんとまとめられているし、欲を言えばという感じですかね。

主人公の目線を通してということを考えるとこのすとーりーはよく出来ているかなと思います。単なるミステリーという枠だけでなくその背景にある問題や、あるいは一人の人間の物語としての読み物としてもなかなかに手ごたえのある一冊名のではという気がします。

手にとって読み出したら、最後まで読まずに入られない機にさせること間違いなしの一冊です。

<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094080465/jugem-22/ref=nosim" target="_blank"><img border="0" src="http://ec2.images-amazon.com/images/P/4094080465.01._SCMZZZZZZZ_V1122971291_.jpg" alt="感染" /></a>
<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094080465/jugem-22/ref=nosim" target="_blank"><strong>感染</strong></a>
仙川 環

2006年12月14日 (木)

竹内薫著『99.9%は仮説』 2006年12月13日

以前からかっていた本だったのですが、ここのところの忙しさにかまけてずっと保留のままだった本を読んでみようということで、先日から読み出した一冊。結局読み出したらあっという間に最後まで読みきってしまいました。というわけで、今日はその本の紹介。

タイトルにもあるとおり、読んだのは竹内薫著『99.9%は仮説』という本。本を買うきっかけになったのが、最近もちょくちょく見ている深夜のコマネチ大学数学科という番組。いろんな数学の問題を面白く扱ってくれる私にとってはかなり有意義な番組。(こんな番組がもっと増えないかなと思っているのですが・・・)その中で案内役を勤めてくれる先生の一人がこの本の著者の竹内さん。

私自身、大学時代には物理科に所属していて、そのときにはそれなりにいろんなことを学んだ記憶がありますが、今でも頭の片隅に残っている記憶といえばなにかというとそのときに培ったものの考え方かなというくらい。相対性理論もべんきょうしましたがこれがどうして、出てくる式なんてものはほとんど記憶していないんですよね。(笑)

そんな感じだったので、この本を手にしたとき果てさてどんな内容なのかなというのはかなり楽しみな感じで読み進めました。本の中に出出てくる一説に、理系に進む人はには必須のバックグラウンドとして、科学史や科学哲学の教育があげられています。

これは私も強く思います。普通の歴史を学ぶこともその本当の意義というものが見放されている現状ですからある意味しかたないのかもしれませんが、何故当時そんなことが考えられていたのか、何故その仮説はだめになっていったのかというのを知るのは大事なことだと私も思います。

この本でたびたび出てくるこの「仮説」こそ、もちろん科学で通説として通っていることもでもありますし社会生活を営んでいる全ての人が、何らかの「仮説」をたてて生きているということなのだと。だから言わば、世界の多くは仮説に始まり仮設に終わるということ。

世の中のことである仮説だけが絶対視されるような根拠はきわめてないのが普通なのだということなんですよね。科学者が研究するに当たっても、まずは「多分こうなるだろう・・・」なんて仮説を立ててその仮説を裏切らないデータがそれって来ることによってある仮説は支持されていくわけです。ということは、その仮説が成り立たないというデータが出てしまった瞬間その仮説は捨て去られる運命にあるわけです。この潔さが反証可能性。科学において唯一の定義とっていもいいのかもしれませんね。

これが、いわゆる心霊現象だったりオカルト的なものそれから世の中の政治体制や宗教なんかといったものとは根本的に違うゆえに信頼性があるんだと思います。だからといってなにも人生の全てにおいて反証可能性をつかって斬っていこうというわけではないと思います。

そんなことをしていたらはっきりいって普通の生活なんてとてもじゃないですが出来ないですから・・・。でも自分の持っている基準あるいは生きていくための指針であったり常識が他者とは違うんだということは認めることは出来るのではないかと思うんです。あるいは、誰かの一面を見ただけで○○はそういう人だというのもある意味危険なことだということ。

相手の立場や心積りを少しでも気付いていくにはそういった相手の仮説を知るということが大事なことと著者はのべています。そう、じつは科学的なものの見方というのは意外に簡単なことだあったりもするわけなんですよね、子供が何故何故?ときくのは、もしかあしたら至極科学的なのかもしれません。(笑)

この本を読みながら、ああそういう視点てだいじだなあと改めて気付かされました。自分ではある程度できているかななんて思っていたらとんでもないです。(笑)読み終わってからちょっと新鮮な気分になることが出来て良かったです。これ結構オススメですよ。

最近のトラックバック